書画家 高野こうじ 公式blog

書道、アートの作品を中心に日々感じたことを綴る

日出ずる国の泥の箱舟

ここでは個人的なことを書いてゆこうと思って
政治的、社会的な話を回避してきた。
しかしこの国の、この地球の住人である以上、
憤懣やるかたない時がある。というかこの国の
日々は暗黒を彷徨する指標を失った箱舟だ。

昨日からニュースに釘付けである。
邪悪な点は線となり最悪の絵を露呈しようとしている。
罪をおかして銭もうけしておいて
「このままでは日本がだめになる」
「お金もうけの何がわるい」
「若い人(こいつだって犯罪者だ)の挑戦をおさえつけるな」
とのたまう。アウトサイダーの道をゆく俺らより
インサイダーのこいつらのほうがタチが悪いな。
こんな魑魅魍魎が跋扈する世界が日本の経済の象徴のように
言われるなんてまったく腹立たしい。売り抜け、すり抜け、
高笑いをしているヤツらに、駐車違反のキップを切られる
個人の配送ドライバーの気持ちが、またそれを切ってドライバー
にあたられてる民間の老いた監視員の痛みが聞こえるか?
経済の底辺を支えているのは誰だ?
本当に株価の上昇や安定を支えているのは誰だ?
中国やインドにあっという間に食われるって?
ここが不正にまみれてどこにも行けないなら日は昇らないよ。

憎悪とは静かに繁殖する。そしてしぶとい。
変貌されるというより浸食してゆくという感じだ。
楽しいとき、支えがあるとき、愛に満ちたとき、そして
人生の中で経験して得た抑制という力があるときなど
(たいがいの人はその範疇で生活する)はいい。
しかしそこからこぼれ落ちたとき憎悪は顔を出す。
つまりはほとんどの人が持っている感情ではないかと思う。
その時に生まれてくるものではなく、静かに繁殖して
いったもの。これをぶった切るのは環境なんだ。
意志を持てない子供には大人が、大人は自分の力で
改善してゆくしかない。自分で蒔いた種をしっかり自分で
刈り取らないからめんどうなことになる。
自己破産したから?生活保護を受けていたから?
人をあやめる動機になんてこれっぽちもならない。
自分で蒔いた種だ。
笑顔には笑顔で答えるように憎悪の中から憎悪は
増殖してゆくものだ。
悪いのは親のせいだ、生まれ育った場所のせいだ、過去のせいだ、
会社のせいだ、収入のせいだ、友人のせいだ、上司のせいだと
すぐ狭い範囲の外部に憎悪の目を向ける。
内に行かないから発見も覚醒もない。
そして周りが変えてくれないから、周りが理解しようと
しないからとなる。
怠惰な生活と逃避の果てに太った人はそれを恥じ、陰湿な顔をする。
自分で蒔いた種よ、だったら努力と節制をしなきゃ。
でも好んで、食べるのが好きで人生を謳歌して太った人は
コロコロと愛らしい笑顔でとてもポジティブだ。
太っていることに問題があるのではなく、その内側にある
精神の問題なんだ。

東証と秋田で起こったふたつの事件から俺たちは
この国の憂いに目を向け、泥の箱舟がノアの方舟
になるように航行を続けていかななければならない。