先日のイベントで即興で描き上げたものについて。
一年半くらい前にある縁があって、ひとりで和歌山県の
高野山に登って、宿坊に泊まって勤行などにも参加しました。
そんなわけでちょっと前に本屋に行ったときにある雑誌が
高野山の特集をやっていたので購入。
その中に載っていた言葉に強いインスパイアを受け
今回筆をとりました。
先日はこの言葉をMCのシンスケさんに朗読して
もらいながら龍を描いた。
こんな言葉です。
どうかじっくり心で読んでみてください。
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その眼は開いているか。
曇りだ、雨だと嘆く者を尻目に、
雲の上の太陽を、月を、星を見通せているか。
動かぬ種を見て、そこに芽吹きを見、
繁茂(はんも)を見、開花結実までを見通せているか。
のんびり生きるのは嬉しいことだが、
ぼんやり生きては話にならぬ。
この世には一筋の道、法がある。
何が何に通じ、何が何を生みなしているか、
常にその道を、法を見ていたならば、
闇に光りを見、種に花を見ることも難しくない。
過去の経験を活かすことができれば、
新たな局面にも恐れはない。
理不尽と矛盾と束縛の中を、
ちゃんと生き抜いてきたのだ。
その時には、閉じたふりをしていたとしても、
経験はすべて残っている。
必ず、己を活かす場が用意されている。
それがいつなのかは知らぬ。
時が来て慌てぬよう、
眼を開いておかなければなるまい。
雲上には、常に、天があり続ける。
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「雲上在天」。
俺はどこを見ようとしていたのだろう。
眼からうろこが落ちるとはまさにこのことだ。