冬に別れ、それきり僕はシャンパンをやめた。
しゅわしゅわとゆるやかに、気泡は止むことなく
それはまるで僕の感情のようで、だからといって
飲み干せるほどの強さを持ち合わせているでもなく。
あれから季節は移ろいゆき、もう空は夏の絵を
描き出している。一枚一枚と薄着になるように
心も軽くなってゆく。どんなにテクノロジーが進歩しても
人類の精神に効く最強の薬は「時間」なのだろう。
黄昏を待たずに僕らは西日を感じる窓際に座った。
少し苦かったけど、ほろ苦い記憶は戻ってこないみたいだ。
人生は幾重にも重なり、やがてそれが味となる。
時には生々しいものもあるけど、「生きる」とはやはり
「生」なのだし。
カーティス・ハンソンの映画の話、好きなインセンス、
どこそこのレストランの野菜が美味しかっただの、
正直な自分をさらすことができなくて差しさわりのない話が
回り続けたあの頃。
女性はNoという手段を使うためにはずいぶん婉曲的な
方法と表現が好きなのだろうか。
白黒つけなくていいことにさえ、いやだからこそはっきり
させたがる感情を埋めたあの場所から、許容という芽が
生まれてきた。
燃えるような思いを持ちながら、芯は柔軟に。
ドイツの詩人曰く「思想は行動になろうとし、ことばは
肉体になろうとする」らしい。
デザートもコーヒーもとらず、笑顔を絶やさないウェイターに
グラスのシャンパンをオーダーした。
笑顔の中に一瞬の怪訝さを読みとったけど、気にしない。
やがて運ばれた気泡を纏った黄金の一杯。
今度は「新しい明日へ乾杯」。
もう苦味は感じなかった。
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長々と読んでくれてありがとう。
この物語がフィクションかノンフィクションかは
自由に判断してください(笑)
とにかく美味しいものを食べるとビジュアル(前半の
写真はきれいだな、さすが自然光です)
を含めいろんな創造心が顔を出してくる。
おっと、「モヒ猿」もお忘れなく。
季節はずれの雪は素晴らしかったです。