書画家 高野こうじ 公式blog

書道、アートの作品を中心に日々感じたことを綴る

8年

あれから8年、 今でも簡単に言えることじゃないから、個人的な体験を書こう。

あの日、中目黒のコナミジムでトレーニングを終え、ジム内の風呂に浸かっていたときだった。 湯殿の湯が大きく波打ってバシャバシャと湯が宙を舞い出した。 風呂は安全面の考慮もあってか天井からぶらさがっているものがない。 揺れを目視できるようなものがないのだ、今でもあちこち温泉や銭湯に行くが 揺れに対してちょっとしたことでも過敏なっている。

それで、そのときは何がおきているのか把握できないまま風呂を飛び出し慌てて着替えてロビーに出た。 スタッフの誘導でジムにいた全員で非常階段を降りた。あちこちから飛び交う悲鳴と怒号、壁には亀裂が入っていた。

外に出て大切な人たち電話したが繋がらない。 引き続きの余震、携帯片手に見上げる電線が大縄とびのように揺れていたのを今でも覚えている。

岩手県宮古市の母がたの実家や街は津波の飲まれて消えた。

震災から四ヶ月後ひとりでバスでまず仙台まで向かった。 途中バスが追突事故を起こし歩くことを余儀無くされた。 道がわからない俺を岩手に帰るという学生が駅まで案内してくれた。 さらにバスを乗り継ぎ、書家として初めて講演に呼んでいただいた場所、石巻に向かった、 翌日には福島市いわき市と回った。

それから日本駆け込み寺所長の玄さん、スタッフの方、のちに発足される国分町駆け込み寺の方のおかげで 何度となく東北に足を運ばせていただいた。 阿闍梨様の鎮魂供養の旅に同行させていただいたり、被災地を訪れ話を聞いたり、 仙台のイベントに出させていただいたり、たくさんの激励の作品も書かせてもらった。 被災地に対して自分は何もできず、ただただ玄さん、駆け込み寺の皆さんのおかげで東北の街と人、近くしていただいた。

そんな中で東北に知り合いもできたし、好きな店も生まれた。

制作でも仕事関係の会社などからも復興支援に書いて欲しいと多くの依頼をいただいた。

たくさんの人が東北にエールを送っていた。

昨年は故郷ために尽力した大船渡ふるさと大使の友人が他界した。

今日の東北は雨、天国からどんな気持ちで見てるかな。

自分の仕事は生きる感動や、つながる喜びを作品にしてゆくこと。

忘れずに、ひたむきに。

見上げる空はつながっている。

合掌。