書画家 高野こうじ 公式blog

書道、アートの作品を中心に日々感じたことを綴る

愛は生きること 愛を生かして生きること

今日は書きたいことがあったけど
それよりも書き止めておきたいことがあったので。

この曲をBGMにしてお付き合いください。

今日12月8日はJOHN LENNONの命日。30年。

俺がジョンを知ったのは遅い。
中学の同級生の唐沢くんや近所の蕎麦屋のにいちゃんに
さんざんビートルズの曲や素晴らしいさについて
聞かされてもまったく響くものがなかった。
テンポが遅い、甘ったるい、メロディがきれいすぎる。
それに教科書に載るような音楽がカッコイイわけないと
14歳の少年は思ったものでした。
バンド少年だったのにビートルズ眼中なく叫んでいた。

23の時に「Things We Said Today」を聴いて覚醒した。
今までの遅れを取り戻すかのようにビートルズ
ジョンをポールを聴きまくった。

そして1999年、創作書家 高野こうじのデビュー、
冬のニューヨーク。

マンハッタンに着いて、安ホテルにチェックインして
何よりも一番始めに向かった場所がここ。

ダコタハウス。ジョンの住んでいたアパートメント。
1980年12月8日、マークチャップマンに射殺された場所。

その後、セントラルパークの一角のストロベリーフィールズ
立ち寄ってから、路上に作品を広げた。

久しぶりに写真を引っ張りだしたので当時の懐かしい写真も。
人生で一度しかないパーマネント姿で入国。

しかしニューヨークで断髪。

なぜか坊主刈り、ニューヨークで?
しかもなぜかパンイチでホテルでセルフタイマーで撮影。
アッチの世界の住人にでもなる気だったのでしょうか。

別にダコタハウスに行きたくてニューヨークに行ったわけでも
創作書家のデビューのハク付けでニューヨークを選んだわけでも
もっと言えばニューヨークに思い入れがあったわけでもない。

でも人生はそんなもんだ。
無理くり理由付けすることはない。

ただ、行きたくなったから。

ジョンもこう言っていた。
「人の言うことは気にするな。
 『こうすれば、ああ言われるだろう…』、
 こんなくだらない感情のせいで、
 どれだけの人がやりたいこともできずに死んでいくのだろう」

そんなニューヨークひとり旅だったけど
振り返ればやっぱり非常に大切なpiece。

だって今でも書き続けている。

今朝、書きました。

ジョンのpeaceへと少しでも近づけるように。