書画家 高野こうじ 公式blog

書道、アートの作品を中心に日々感じたことを綴る

自覚なき悪意

渋谷は怖い。まぁ田舎モノだからしょうがない。
今回はそういう意味の怖さじゃない。

駅前のスクランブル交差点。信号はとっくに
赤になっているのに平気な顔して横断する輩がいる。
人の波が途切れ、車の発進音やクラクションで
歩行者の信号が赤になっていることに気づき慌てる。
もう何百回と見てきた光景。
どこ見て歩いているんだろう。完全に油断して
緩みきってるとしか思えない。
足元をすくわれたり、寝首をたたかれる恐怖感ゼロ。
前の人が歩いていたからってのがせいぜいの言い訳だろう。

渋谷の交差点の光景を嘆いているのではない。

この<自覚なき悪意>に怒っているのだ。

自分の意志や、確認や根拠や拘りや美学なくして
ただ全体の流れにのって発見されないよう漂っている。
大勢にまぎれているから罪悪感のかけらもない。
怖いから抜け出すこともできない。
そしてそんなヤツらははみ出たモノを「KY(空気が読めない)」
などと罵る。くだらない流行語だ。
「迷惑」で済んでいるうちはいい。でもこの意識が「いじめ」や
「自殺」の温床となっていきやしないか。

子は親の責任に、親は学校の責任に、学校は組織の責任に、
組織は社会の責任に、社会は政治の責任に、政治は・・・。
どこになすりつけてもダメなんだよ。
自分で切り拓いていかなくちゃ。

かつて「赤信号みんなで渡れば怖くない」というギャグがあった。
もう素直に笑い飛ばせる時代じゃなくなってきてる。

被害者をなくすためにはこの自覚なき加害者ってのを
一掃してゆくことだと思う。
自分の意志で信号を渡れるように変わってゆかなければ。

このクソ暑い中、

カレー食って、喝ッだ!