昨日はあれからジョッキを選んだ俺です。
神泉の隠れ家で一献。
ビールと日本酒が染み入った。
素晴らしい時間を過ごしたおかげだね。
世田谷区の小学校「家庭教育学級」で講演。
いつも講演ではプロットを持たない。
それにはある出来事が大きく影響しています。
約10年ほど前、宮城県の石巻市から講演の依頼を受けた時のこと。
前乗り(前日入り)した俺は講演の前日、機会をいただき
ダウン症の施設で書かせてもらった。
そこで感じた今を生きる生命の瑞々しさ、躍動感に胸を打たれた。
ホテルに戻ってテーブルにあったプロットをゴミ箱に捨てた。
確かに台本があれば理路整然と、立て板に水で喋り、
滞りなく進行できるだろう。
しかしそんなことより大事なのは「この瞬間」なのだ。
同じ時間はない、同じ日はない、同じ出会いはない。
多少不格好でも感じ合うことが大切なのだ。
昨日は事前に何名かにその場で書き下ろすので
言葉を考えてきていただいていた。
いざ書きますとなったとき、ある女性が挙手をして
事前に考えてきた言葉じゃなく、今感じた想いを言葉にした。
そして自分の中に、その想いが明確なイメージとなって広がった。
筆が走る。
そういうことが生(ライブ)のすごさなのだ。
その女性は涙を流された。
自身の想いを言葉にすることが響きになる。
発見がある。まさに「気付き」が「築き」になる。
自分の活動は第一次産業。
農業は土を感じる。
漁業は海を感じる。
林業は山を感じる。
鉱業は隆起を感じる。
俺は心を感じて旗を翻してゆきたい。
やればやるほど、その奥行きを感じる。
日々勉強であることはなんら変わりはない。
10年の時間が経過しようとも。