今日は親父の命日、8年が過ぎた。
今だからこそ、考えることがある。
生前は家族仲が良かったとは言えなかった、 余命宣告を受けてから数ヶ月でその空白の十数年を急速に埋めた。
急いだけど濃密に過ごした刹那の断片はその後に大きな財産となった。
やれるうちにやるんだ。
動けば取り返せる。
今やらずしてそのいつかはこない。
当然ながら今でも忘れることはない。
多くを喋らず、いつも怒っているように見えた父は実は臆病で不器用で シャイで優しい人だったのだろうと。
歳を重ね、見えないものを少しづつ感じられるようになれたのは 親父が伝えようとしていた愛だ。
多分。
今でもそこはわかるようでわかりかねている。
結論づけることはしない。
「あるがままを受け入れる」、
余命半年ですと医者に言われた時に親父が言った言葉。
その覚悟と強さを考えている。
不安に苛まれながら、実家の親父の机の前に自筆で書いて貼られていた。
とらわれを断ち切った潔さ。
今一度、自分で書いてみる。
書家として、息子として。
もう答えなくていいよ、
自分で確かめながら進んで行く。
いつかきっとあなたの気持ちに辿り着ける。
多分。